学校行かないと将来が・・・
仕事しないと生活が・・・
結婚できないと、子供産まないと・・・
他人には優しくしないと・・・
毎日がやらなきゃいけないことでいっぱいいっぱい。
些細なことから人生の大きなイベントに至るまで、
「~ねばならない」に追い回されて、
窒息しそうになってませんか?
この「ねばならない」、いったいどこから来たんでしょう?
実は「ねばならない」は周りの環境によって
自覚症状なく自分の中で育ってしまったルール。
本当は手放しても何の問題もないんです。
「ねばならない」思考が生まれる原因
人は生まれた時には「ねばならない」ことは何一つない。
でも、周りの環境、とくに親の言ったことや態度なんかで
「○○しないと~なるからダメ」とか
「人としてこうあるべき」というような価値観を
植えつけられます。
子供の脳は素直に受け取ってしまいがちなんで、
親のルールがそのまま子供に引き継がれてしまう。
そのルールに疑問や反発を感じて、
ルールを無視して生きようと思っても
知らず知らずのうちに影響を受けている。
親が言っていたことから外れると
親から見捨てられるんじゃないかとか、
人生踏み外すんじゃないかとか。
心の奥底にねむっている恐れの感情。
問題回避のためにはがんばって
「~ねばならない」となるのです。
「~ねばならない」は万人共通ではない
自分が「~ねばならない」と思っていること。
それはあくまで今まで生きてきた間自分が見聞きしたり
経験したことだけで作られた掟。
だから、人それぞれルールが違うわけです。
もちろん、地域レベル、国レベルの洗脳というのもありますけど、
それすらも地域限定、絶対的なものじゃない。
ルールって、もともと快適に、より生きやすいように
つくられたはずのものだったはずなんだけど、
今の自分がそのルールでしんどい思いをしてるなら、
ルールブックを変更したっていい。
ルールを変更したら、親をはじめ、
これまでの人間関係がぎくしゃくするんじゃないか?
でも、自分がルール変更してのびのび楽しく生きたら、
周りにもいい影響を与えるはずです。
私の「ねばならない」脱却体験。
ここ数年スマホやPCの使用時間が増えて、
悩みの種になっていた目の周りのコリと視力低下。
どうにかしたくて
サプリやらマッサージ器やらいろいろ試したんですが
どれもいまいち。
そんな折、とある整体で
「最近目の周りのコリが取れないんですよね~
ぼやけて見えるのもどうにかならないですかね?」
とぽろっと言ったら、院長が一言、
「別に見えなくてもいいんじゃないですか?
ムリに見ようとするから余計に顔が凝るんですよ」
見えなくてもいいって・・・
そして、レイキ(手あて療法)のマスターのところに
行ったときにこの話をしたら、
「あ~僕も何本も眼鏡持っててよく見えないやつもあるけど
いろいろかけ替えて見えない世界楽しんでるよ~」
とのこと。
視力回復にこだわっていた自分は
なんて無駄にエネルギー使ってたんだろうと
思い知らされましたね。
「ねばならない」を手放してもいい :まとめ
「ねばならない」は育った環境によって作られた、
偏ったルール。
だから、もし今「ねばならない」に苦しめられているなら
それはほんとに自分を幸せにする?
自分以外の誰かのモノサシなのでは?
と考えて、自分を解放しましょう。
ルールを手放したらダメ人間になるんじゃないか、
という心配は不要です。
たとえば、
「仕事に行かないと生活が・・・」
と苦しくなってるなら、
「仕事に行かない日があったってすぐに
生活がなりたたなくなるわけじゃない」
と逃げ道を作ってあげる、そして
どっちでもいい、と考えられるようになることが重要なんです。
そうすると、にっちもさっちもいかないしんどさがなくなって
エネルギーを無駄なく建設的に使えるようになりますよ。
ではまた!
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