うまくいく自信がない、失敗が怖い。
だからなかなか新しいチャレンジができない。
そんな状態に陥っているときのヒントがこちら

失敗=決定的ダメージ
じゃなくて
失敗=成功へのステップ
失敗=経験値積み上げ
ととらえ方を変えようってことなんですけど。
それでも根深い失敗への恐怖感。理由としてはこんな感じ。
① 脳の仕組みがそうなってる。
脳は生命維持のために頑張ってるので、現状が安定してると
(たとえそれがしんどい状況であってもです)、
変化することを避けようとする働きがあります。
(ホメオスタシス=恒常性機能ってやつです)
なので、何かに挑戦する、環境が変わる、といったことは
危険な状態と解釈します。
で、いろんな理由を見つけてきてはそれを阻止しようと
頑張るわけです。
たとえば、
時間がない、お金がない、お前にはムリだと言われた、
誰かがやってみたけどうまくいかなかったと言っていた、などなど。
まあ、こう考えると、失敗が怖いのは当たり前なんですよね。
そしてさらにもう一つ。
② 失敗に厳しい日本の国民性。
これ、良い方に作用してることもあって、
日本製品の品質の良さとかサービスのきめ細かさとかに
つながってる部分もあるんですが。
ただ、ここでもやっぱり正解を求める教育のデメリットですね。
想定通りの答えにならないことへの恐怖。
学校でよくありませんでした?
間違った答えを言ったときの周りの生徒の反応が
冷ややかすぎる。
間違えた時ばかりじゃない。
明らかに正解はないような、感想・意見を言ったときでも
周りの生徒といちじるしく違う内容だと白い目で見られる。
この空気感だともう何も動けなくなりますよね。
私は父が台湾人のせいか、小さい頃から
この感覚をものすごく感じたんですよ。
小学2年生のときでした。
将来何になりたいですか?の質問に、
私以外の女子全員の答えが「お嫁さん」だったんです。
私はというと、ぜんぜんそんなワードは頭になかったし、
特に何になりたいとかもなかった。
でもなんか言っとかないとまずいんだろうな~、
結局、「医者か弁護士」という、
子供の頭で精いっぱい考えた無難な答えを言ったんだけど、
周りの女子がなんでみんなお嫁さんになりたいのかが
どうしてもわからなかった。もう、私以外の女子で
申し合わせたかのようで気持ち悪かった記憶があります。
で、私だけ違う回答だったので、
案の定、あの子変わってるよね、という目で
見られて異端児認定を受けることに。
この感覚が、何かをやろうと思うと立ち上がってしまうんですよ、
特にこの日本では。
でも、ここでめげてはもったいない。
横並び主義の日本で、人と違うことをやったら
それだけでランク上げになるんです。
たとえ、スキルが足りない状態でも
動いたもの勝ちです。
寝ぼけた周囲の人間にカツを入れた自分は
めちゃくちゃ影響力あるんだ、くらいに思って
足を引っ張られないことです。
日本人の和の文化、とか言いますけど、
成長しない人間の間でいくら和を保ってみたところで
何も生まれないですから!
ということで、まとめると、
失敗が怖いのは、
① 脳に現状維持しようとする働きがある
② 失敗に寛容でない日本で生きてきた
から。
失敗を受け入れて前に進むには、
脳の働きを踏まえたうえで
行動を重ねながら脳を慣らしていく
日本の横並び精神は何も生まないので
足を引っ張られないようにする。
やろうと思ったときがベストタイミング!
ではまた!
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