リモートワークでも同じ。過労死とサボりの共通点

過労死とサボり ネオ・仕事観

実業家の内藤忍さんのブログが目に留まりました。

 

テレワークで増える「平日昼の自由を満喫するサラリーマン」

 

テレワークは仕事の効率を上げる面もあるのかもしれませんが、

仕事をサボる人たちを生み出している側面もあるように見えます。

 

確かに誰も見てないところでサボるのはよくわかります。

私なんぞは営業職だったんで、営業中に買い物したり家に帰ったり。

褒められたもんじゃないですw

 

一方で、テレワークになったら余計にブラック化して

過労死寸前という記事も見ました。

在宅勤務になると、仕事とプライベートの境界線が

あいまいになって、

勤務時間を超過しても、酷い場合は休日まで

仕事をこなさないといけない。

 

ここで気が付いたんですが、

テレワークとか出社するとか、勤務形態の問題ではなく

根本的な問題があるんじゃないかと。

それは、主体的に仕事の仕方を決めているか?ということ。

 

制度や環境を整えるのも大事だけど

個人の意識も重要です。

 

過労死もサボりも会社基準の考え方

過労死は言うまでもなく、

「たとえ自分の限界を超えていても、

会社から要求されたことには応えなければならない」

という自己犠牲的な対応を続けたことによる悲劇です。

会社の一員である前に一人の人間である自分を

無視し続ける。

特に日本人は身を粉にして働くとか

修業的な要素が大好物ですが、

はっきり言って会社側のいいカモにされてるだけです。

 

では、仕事をサボるのは?

一見、会社から自由になっている気がしますが、

「サボる」ってどういう時に使う言葉か考えてみると・・・

「会社をサボる」

「学校をサボる」

「家事をサボる」

周囲から要求されていることをやらない、

という時に使ってるわけです。

家事だって、会社や学校のように

組織からとがめられるわけではないけど、

社会通念的に(とくに主婦が)家事をやらないのは

どうなの?と思われてることに対して「サボる」んです。

 

外的な基準がなかったら「サボる」とは言わない。

「やりたくないからやらない」。以上、って感じです。

本当は、組織とか社会の圧力で行動を決めるのは

だれも望んでないと思うんです。

 

同じ行動でも自分基準にとらえ直す

たとえ激務だったとしても、

会社から無理やりやらされてると思うのと、

自分が好きでやってるだけだと思うのとでは、

ストレスを感じる度合いは全然違うはず。

だから、自分の許容範囲を超えていると思ったら

自分を守るためにやめると決めるか、

それでもやるなら「自分でやると決めたからやるんだ

というように自分の意識をシフトする。

同じように、主体的にサボる。

つまり、「自分の判断でやらないと決める」。

せっかくサボったのに、罪悪感にさいなまれるのは

もったいないですからねw

 

自分軸で考えるのがいちばん!

 

ではまた!

 

 

 

 

 

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